もう良い人で仕事してる場合じゃない
仕事は一人ではできない。円滑に仕事を進めるためには周りの人の協力が不可欠だ。
人間関係をスムーズにしておかないと自分の首がしまる。そう思って関係者には自分なりに気を使いながら接してきたつもりだ。
でも人間関係をスムーズにしようとするあまり、良い人であろうと努めすぎていたことに気がついた。
他人からの評価を気にして、良い人であろうと振る舞い続けた結果、他人の視線ばかり気にするようになってしまった。
もっと自分らしく働いたほうがいいよね!と言いたいわけではなくて、仕事の生産性という側面から考えたときに良い人を演じることがこれからは合理的ではないんじゃないかと思う。
今までは人間関係が人事考課に影響することが多かった。
でもこれからは違う。根回しがうまい人が評価されるのではなく、価値を生み出した人が評価される。
そう考えると良い人であることはコスト高なんじゃなかろうか。
人間関係を大切にするのは仕事をする人間として当たり前だけど、これからは良い人であろうと頑張るのはやめにしたい。
生産性の話。
職場の課長は良い人だ。
部下に飯は奢ってくれるし、相談事にも親身に乗ってくれる。指摘はするが部下を叱りつけることもなく、部下の失敗も責任をしっかりとってくれる。理想的な人格者だ。
でも、仕事に関して言えば、ちょっと困った面がある。
無駄な仕事を増やすのだ。
「現状把握したいからA4にまとめておいてほしい。」
「その件、エクセルでまとめて報告しておいてくれない?」
部下である僕からしたら、現状なんて5分もあれば説明できるし、今後の課題も共有できる。なのにそれをいちいちまとめていたら時間がもったいないことになぜか気づいてもらえない。
口頭五分で課題共有までできるものだから、二人の時間消費は合わせて10分。
かたや、ワードでまとめたら
僕がまとめるのに20分、課長が読んで5分、そこから課題共有を始めて3分ほどだろうか。合わせて31分。
ざっくりと見積もったが、20分も差ができてしまう。
20分あればちょっとした雑用は一つ二つ片付けられる。
なんでかよくわからないけど、こういう仕事中のちょっとした時間を軽視している人が圧倒的に多いというか、もう無駄にしていることさえ理解していない。
仕事は一つ一つ丁寧にやるべきことがあるのは僕も理解している。
ただ、何も価値を生み出さない仕事に時間をかけていては生産性がない。
おそらくこの時間に対する認識の欠如が日本の生産性が低い原因の一つであることは想像に難くない。
丁寧に仕事をするなと言っているわけではない。仕事にも時間制限があることをもっと強く認識したほうがいい。
サッカーの試合だって、90分という決まった時間でいかに得点を取るか競っているからゴールに価値がある。
90 分の枠をはみ出してゴールを量産したところで何の価値もない。
時間の中でどれだけ生産性を上げられるかが大事なのだ。